「東京には東京の残酷さがあって、けれど東京には東京の優しさも確かにあった。」(p.3)
はじめて「東京」を訪れたのは、たしか18歳と19歳のあいだの頃だった。正確には幼児の頃に家族で来ていたらしいのだが、その時の記憶は全く残っていないので、それはノーカウントでよいだろう。(もちろん、もしかしたら気づかないどこかにその痕跡のようなものが残っているのかもしれないが。)
そのあと、関西地方を挟みながらも居ついたのは結局、「東京」の街だった。
地方から「東京」に移り住んだ直接的な理由は進学のためだったが、なぜ進学先を「東京」にしたかというと、やはり地方の持つ閉塞感のようなものからの逃避ではあったように思う。
ひとつの価値観が支配的で、序列がはっきり決まっていて、そこから外れてしまうとまともな居場所すらなくなってしまう、そんな閉塞感からの逃避。
そんな地方に対して、「東京」は様々な価値観やそれに伴うコミュニティがあって逃げ場だらけだった。それらを自由に選択できる、巨大な遊び場みたいな場所だと思った。基本的に法律をおかしていなければ、自分の言動が他人から干渉されることもない。
それを「冷たい」と感じる人もいるだろうが、私にとってはとても居心地が良い環境だったのだ。
「思い描いた大人」になれなかった全てのひとへ。(本書のキャッチコピー)
地元が東京である人はともかく、地方出身者にとって「東京」は「孤独の共同体」でもある。「東京」を構成している主たる成分は、分かりやすいサクセスストーリーよりも、なりたい自分になれなかった人びとの物語なのではないか。本書はそのことを思い出させてくれる。