お風呂屋さんの日常。

本当の故郷は自分に似ている人に一番多く出会う場所だ。

「この街が必要とされてきた理由」、『飛田で生きる』(杉坂圭介 著)

 

「なぜ、この街が必要とされてきたのか。」(p.10)

 いつの頃からか、踏み越えてしまったら戻れなくなってしまうような境界線の向こう側の風景に惹かれることに気付いた。

 たとえば芸術作品にしても、その作品が生まれる前と後で何かが決定的に変わってしまうようなものに目がとまってしまうし、真っ直ぐ順風満帆に育ってきた人よりも、どちらかと言うと「普通」を逸脱してしまった人に心惹かれたりもする。

 その理由は、たくさんの理不尽で満ち溢れたこの世界のなかで、繰り返し訪れる退屈な日常を突破する何かを求めているからなのかもしれないし、私のなかに一人よがりな仲間意識のようなものがあるからなのかもしれない。

 本書の舞台となっているのは大阪の「飛田新地」だ。

 いうまでもないことだが、「夜の世界」と「昼の世界」は表裏一体のものである。だから片方が変化すると、もう片方もそれに呼応するように変化する。「昼の世界」の変化が「夜の世界」の変化を引き起こし、それがまた「昼の世界」へと循環していく。

 そして昼の光が強いほど、その影は色濃いものになっていく。

「夜の世界」に足を踏み入れる理由は、ある程度のパターンはあるものの、人生の一回性を体現するかの如く、同じものはひとつとしてない。だが全体として、結果的に社会のセーフティネットのような役割を果たしている、ということがあるのではないかと思うことがある。

 実際に、本来であれば行政から何らかのサポートが必要な状況から流れてくる人も少なくない。

 現代社会はお金を使わせるためのプロパガンダで満ちている。お金を使うことでドーパミンが放出され中毒症状を引き起こすような仕組みがさまざまなところに出来上がっているし、それによって経済が回っていることも、ある程度、社会に出て働いたことがある人であればすぐに気づくことができるだろう。

 その現状をあえて引き受けながら生きていくところが「夜の世界」にはあるように思われる。

 本書は、業界のエッセンス的な部分が描かれているので、同じ業界にいる人にとっても得るものがあるだろう。一度は読んでみて欲しい古典のようなものといっても良いかもしれない。